神話探訪 日向の国高千穂から奈良橿原へ

壮大なドラマで彩る【 記・紀 】神話の世界 その足跡を訪ねる

その8、ニニギノミコトを祀る神亀山 新田神社

( 新田神社本殿 )

新田神社の参道は、神亀山から真っすぐに南にのび、川内川の堤につきあたる。

江戸時代まではここに船着き場があり、川から直接参道に入れたようである。参道入り口には大きな楼門があった.(三国名勝図絵より)。

楼門をくぐるとすぐに一の鳥居が建っている。

( 新田神社 現在の一の鳥居. 川内川河畔より神亀山方向 )

川内川のすぐ傍に立つ一の鳥居。此処から直線の表参道が二の鳥居まで続き、参道の両側は全て桜の木で埋められ4月には 「 新田八幡さくら祭 」が行われている。

およそ1km程続く桜参道。

 

( 二の鳥居 )

県道44号線をまたいで二の鳥居があり、その向こうに降来橋が見え、その先は神亀山である。

 

( 新旧の降来橋 )

鳥居側の大きな石橋は比較的新しく区画整理の時にでも作られた橋のようだが、手前神社側の橋は古くからあるものを、明治25年にかけ替えられた立派な太鼓橋である。

「三国名勝図絵」の八幡新田神社の項には「鎌倉時代中期降来橋に於いて舞楽あり、桟敷53軒見物人3万人云々」とあり、この頃から橋の存在を確認でき、神社の盛大な勢いを感じさせられる記録である。

橋の下には幅4m位の銀杏木川が流れている。

水量はあまり多くはないが、ゆったりとした流れの中、川底の小石が陽の光に輝き、清らかな水中には小魚が群れを成している。

振り返って神社側を見ると、まず長い階段が目に付く。

まず約110段の階段がある。

 

東側の東門守神社 豊磐間戸神(トヨイワマドノカミ)をお祭りしている。

西側の西門守神社 祭神は櫛磐間戸神(クシイワマドノカミ)で両方とも御門守護の神である。

この階段を登り詰めると、ちょうど神亀山の中腹にあたり、広場になっている。

( 中腹の広場。右手には頂上への階段がある )

 

中腹左手には小さな社が並んでいる。

右から 高良神社・祭神天鈿女命(アメノウズメノミコト・ニニギノミコトの降臨時御伴の神) 中央神社・祭神大山祇神(オオヤマツミノカミ、山の神、コノハナサクヤヒメの父神) 早風神社・祭神級長津彦神(シナガツヒコノカミ、風の神)。

この祠の前には古い礎石が残されている。

 

実は新田神社は往古この中腹に鎮座していた。ところが高倉天皇の承安3年(1173年)正殿以下全てが火災により焼失したため、安元2年(1175年)に頂上に遷座した。

これはその当時の礎石の一つである。

 

この中腹の広場から頂上へ登る階段がある。

 

これが広場から頂上に向かう210段の階段である。遥か先に神社の建物がかすかに見える。

( ご神木であるオオクス )

高さ約20m、幹回り約10m、樹齢は約650年~800年と言われている。

このクスノキには地上2mの所に大穴牟遅神(オオナム千ノカミ)(オオクニヌシノミコトの別名)の像が彫られている。

かなり時間をかけて探してみたが、その像がはっきりとはわからない。

400年の時の流れを感じる。

これは島津家の家老、阿多長寿院盛淳が1600年関ヶ原の戦いに際し彫ったものとされている。

盛淳は島津軍退却の折、主君義弘の身代わりとなって討ち死している。

そして頂上にある新田神社である。

( 新田神社 社殿正面 )

 

新田神社は古くから皇室の崇敬も厚く薩摩一の宮とされている。

創建は神亀2年など諸説ありはっきりしたことはわからない。社殿は本殿から南に幣殿、拝殿、舞殿、勅使殿と一直線に並んでいる。本殿両側には摂社を配し全体を回廊で繋いでいる。祭神はアマテラスオオミカミアメノオシホミミノミコト(ニニギノミコトの父神)、ニニギノミコトの3柱の神である。

( 一番奥の本殿 )

 

( 東回廊 この奥に若宮四所宮がある。)

四所宮にはヒコホホデミノミコトニニギノミコトの三男・山幸彦)、トヨタマヒメノミコト(ヒコホホデミノミコトの妃)、ウガヤフキアエズノミコト(ヒコホホデミノミコトの長男)、タマヨリヒメノミコト(ウガヤフキアエズノミコトの妃)の4柱の神が祀られている。

( 西回廊 )

この奥は摂社武内宮である

勅使殿東は御祈願受付所、お守り授与所がある。

( 絵馬、おみくじ納所 )

 

( 東の狛犬 )

 

( 西の狛犬 )

 

双方ともいかにも古びた、なんとなくほっこりする狛犬である。

( 新田神社の神田 )

6月のはじめ梅雨入りの前に 「 お田植祭 」 を10月には 「 抜穂祭 」 が斎行される。収穫されたコメは神社の神事に供されている。

新田神社で特筆すべきことは、収蔵文化財の多さである。

中でも三面の銅鏡、7巻の古文書は国指定の重要文化財であり、その他県・市指定の文化財が多数収蔵されている。

毎年8月にはこれら文化財の 「 御宝物虫干祭 」 が斎行されている。

川内川の豊富な水量に支えられ今年も豊作である。稲刈りもほぼ終わり、今日も一日が終わろうとしている。

次は 

(     その9 山幸彦(ヒコホホデミノミコト)  兄海幸彦(ホスセリノミコト)との争いとトヨタマヒメとの結婚 )