神話探訪 日向の国高千穂から奈良橿原へ

壮大なドラマで彩る【 記・紀 】神話の世界 その足跡を訪ねる

その1、はじめに

 

( 宮崎県えびの市水流菅原神社大鳥居 )

日本の歴史書の中で最古のものは、【 古事記 】【 日本書紀 】(以降 記・紀 と表記する) である。

 

日本神話はその冒頭で語られている。

最古と記したが、実はもっと古い歴史書が存在した。【 天皇記 】【 国記 】である。

この両書【 記・紀 】よりも100年程前、西暦620年に聖徳太子により編纂された。

ところがその後、西暦645年中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)に対し蘇我蝦夷(そがえみし)、蘇我入鹿(いるか)が争った 《乙巳の変》(いっしのへん)の折 蘇我本宗家の滅亡と共に、その邸に保管されていた【 天皇記 】【 国記 】も焼失した。

これとは別に歴代の天皇や皇室、豪族の系譜や事績などを記した【 帝紀 】【 旧辞 】と言った歴史書があったが古くに散逸して現在に伝わってはいない。

第40代天武天皇(在位:673年~686年)はこの【 帝紀 】【 旧辞 】を正しく誦習 *1 するように稗田阿礼  *2 に命じた。

その後、時は経過したが、天武天皇より3代後の元明天皇(在位:707年~715年)は、稗田阿礼が誦習している【 帝紀 】【 旧辞 】を筆録  *3  するするように大安万呂  *4  に命じ、西暦712年に完成したのが【 古事記 】である。

一方【 日本書紀 】は元正天皇(在位:715年~724年)の養老4年(西暦720)、天皇の命により編纂された勅撰国史であり、編者は天武天皇の皇子である舎人親王  ((とねりしんのう) )である。

内容的には両書とも大きな相違はないが、しいて言えば【 古事記 】は物語風に書かれており【 日本書紀 】は事実と思われる事柄を箇条書き風に書かれている。

また神々の名前については両書とも読みはほぼ同じであるが、使っている漢字は違うことが多く注意が必要である。

また【 古事記 】は全3巻のうち1巻全てに神話が記載されているのに対し、【 日本書紀 】は全30巻のうち 1巻、2巻が神話であり3巻からは歴代天皇の事績や歴史上の事件が漢文で綴られている。

書かれている神話部分の内容は 大きく括れば下記のようになる。

  1、国生み神話

  2、高天原神話

  3、出雲神話

  4、日向神話

  この後神武天皇の東征へと繋がっていく。

 

本稿ではこの両書の神話で語られている上記 日向神話及び神武天皇の東征 の舞台である九州日向(一部和歌山、奈良を含む)を訪ね、できるだけ詳しくレポート致します。読者の皆様に少しでも臨場感をもって神話の世界を理解していただく一助になればと思っております。

そして神話や神社に興味を持つ人が一人でも多くなることが筆者のまさに意図するところであり、望外の喜びでもあります。

ニニギノミコト高天原から高千穂の峰に降臨され、その曾孫(ひまご)の神武天皇が東征し大和橿原市で初代天皇として即位するまで、現地レポートはかなり長い旅になりそうです。

最後まで気長にお付き合い頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。

次は ( その2 天孫降臨 天孫ニニギノミコト、日向の国高千穂の峰に降臨する ) 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

 

 

 

 

*1:しょうしゅう・書物などをよく読んで記憶すること

*2:ひえだのあれ・朝廷に仕える官人

*3:ひつろく・文字に書いて記録すること

*4:おおのやすまろ・朝廷に仕えている官人