( 前方左、夕日に映え神々しくも屹立する霊峰高千穂の峰・道の駅霧島から撮影 )
夕日を浴び周囲の山々を圧し、ひときわ存在感を放つ山容にしばし圧倒される。
自宅を出て<道の駅霧島>に着いたのが、すでに太陽が沈みかけた頃である。
明日からのハードスケジュールに備えて今日は早めに投宿する。
ニニギノミコト *1 が高天原(天上界)から天下り、第一歩を記した場所、それがこの高千穂の峰である。
高千穂峰を詳しく紹介する前に、ニニギノミコト一行が高天原を出発する様子をどのように描いているか
【 記・紀 】の世界を覗いてみよう。
『 葦原の中津国*2が平定されたことを受けて、天照大神は邇邇芸命(ニニギノミコト)に「この豊葦原瑞穂 *3 の国はお前が治める国である。それゆえ天降りし統治しなさい」との神勅をくだされた。
ニニギノミコトは、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を与えられ、多くの神々を従え、途中猿田彦大神の迎えを受けながら、威風堂々と高千穂の峰に降り立った。』
と記されている。その高千穂峰がこれである。
( 手前はお鉢と呼ばれている噴火口、その向こうの山が高千穂峰である )
高千穂峰へは 鹿児島県の民謡おはら節で 「 花は霧島たばこは国分、燃えて上がるは おはらは~ァ桜島 」と歌われている霧島市のJR国分駅から県道60号線を車で30分程北上する。
前方は次第に上り坂になり民家もとだえてくる。
( 霧島神宮表参道 )
表参道と国道223号線が交差する信号の表示は ”霧島神宮前”とあり、その向こうにひときわ大きな鳥居が立っている。
( 霧島神宮一の鳥居・明神鳥居である )
この信号を右折し5分程走ると高千穂川原ビジターセンターへ至る案内が古木で表示されており、そこからの道はアカマツ、モミ、ツガなどの木々に覆われた、まさに樹海のトンネルである。
( 左側の 天孫l降臨への道 と書かれた標柱 )
( 右側の 霧島樹海トンネル入り口 と書かれた標柱 )
( 高千穂の山中はどこまでも樹海のトンネルである。)
樹海トンネルの緩い坂道ををしばらく登ると急に視界が開け、お鉢の稜線が覆いかぶさるように眼前に迫ってくる。
此処が「高千穂河原ビジターセンター」の駐車場であり標高は970m、高千穂峰への登山口の一つである。
( 高千穂河原駐車場 高千穂峰はお鉢の向こう側のため、ここからでは見えない )
( 駐車場全景 )
(駐車場の一角にあるビジターセンター。高千穂峰に関する展示や、資料をそろえている。)
( 噴火の際の避難壕 )
( 自然研究路入り口 )
( 高千穂河原古宮の鳥居 )
霧島連山は西から漢国岳(1700m)、新燃岳(1421m)、中岳(1345m)、と連なり最後が高千穂峰(1574m)である。
高千穂峰はこのお鉢の向こう側に位置している。登山ルートはこの駐車場からお鉢の淵まで登り、淵を左回りに進み高千穂峰へ上る。行きは約2時間、帰りは1時間30分の行程である。
お鉢は往時「火常峰」(ひのとこみね)と呼ばれており、高千穂峰と2峰になっていた。ところが度重なる噴火により現在の山容となり、お鉢と呼ばれるようになった。
お鉢(火口)は直径600m、深さ200m。その淵が登山道になっているため、「馬の背越え」と呼ばれ、幅は1.5m~3.0m。土地の山岳ガイドの人たちも風の強い日には這って通るとの事。
( お鉢の全景 )
( 馬の背 と呼ばれている火口の淵 )
霧島連山一帯は霧が深く、霧の中に各山の頂上が島のように浮かんで見えるところから、これが霧島の語源になったと言われている。
( ミヤマキリシマの群生。頂上に天の逆鉾がうっすらと見える )
馬の背から先の高千穂峰は全山大小の火山岩で覆われており、荒々しい山肌は登山者を拒否するがごとく、歩くたびにズルズルと滑り、登りも下りも大変である。
幕末に坂本龍馬と妻のおりょうさんが登った記録があるが、当時ワラジで良くも頂上まで登ったものである。
頂上には天の逆鉾がある。これを誰が刺したのかは明らかではない。(天の逆鉾に付いては その3 で詳述する。)
ビジターセンターの展示説明文にはこのように記されている。
「特別な山
大小23もの火山がひしめき合う霧島山は、日本有数の多雨地帯でもあります。
噴火の脅威と水の恩恵をもたらす山々は、太古の昔から炎と水の両方を司る神として畏敬の念を集めてきました。その中でもひときわ美しい成層火山こそ、天孫降臨の地として知られる霊峰・高千穂峰です。」
そろそろ夕闇がせまってくる頃である。
山を下りなければならない。振り向けば霞の空に、時には優しく時には荒々しく人々を守り励ますかのように高千穂の峰がそびえている。
次は ( その3 天の逆鉾 高千穂峰の頂上に建てられている鉾、誰が何の為ために )
そろそろ夕闇が迫ってくるころである。
振り向けば、霞の空には時には荒々しく時には優しく、高千穂の峰がにそびえている。