神話探訪 日向の国高千穂から奈良橿原へ

壮大なドラマで彩る【 記・紀 】神話の世界 その足跡を訪ねる

その3、 天の逆鉾  高千穂峰の頂上に立てられている鉾 誰が何のために?

 

 

(  高千穂の峰、頂上に、天の逆鉾が見える。 )

 

 

( 高千穂峰頂上の天の逆鉾 )

 

( 高千穂河原ビジターセンターに展示されている天の逆鉾のレプリカ )

この逆鉾を誰がいつ頃建てたのかはさだかでない。

イザナギノミコト・イザナミノミコトが日本の国土を作るときに使った 「天の沼矛」 ではないか? ニニギノミコトが天下るときに目印のために投げおろしたのではないか? また 霧島連山は山岳宗教の聖地であるため修行中の山伏が戦いのない平和な世を祈念して建てたのではないか "   などなど諸説ある。

また形についても、坂本龍馬が妻のお龍さんと高千穂峰に登り、逆鉾を引き抜いた話は有名であるが、この時姉の乙女さんに送った手紙の中の絵と現在の形は違う。

( 坂本龍馬手紙全文 )

 

江戸時代末期に長崎の人で医師であり画家の木下逸雲が高千穂峰に登り「霧島山に登るの記」という短文を残しているが、その文中の絵は下記の通りである。

( 宮崎県高原郷土誌より。右図天の逆鉾の柄の部分。また左の図は噴石が当たり飛び散った先端剣の部分) 

木下逸雲がこれを画いたのは文政年間(西暦1818~1830年)であり龍馬の手紙より50年程前である。

実はこの逆鉾は約900年前の霧島山の大噴火の時、噴石が当たり先端の刃の部分が飛び散り、龍馬や木下逸雲が描いたような形になったと言われている。

逸雲の絵はさすがに画家らしく折れた部分を細かく描いている。

その後これを社宝としている霧島東神社で修復を行い、現在の形になっている。頂上の鳥居の内側はこの霧島東神社の飛び地境内となっており、立ち入り禁止てある。神社の宮司さんたちは月に一度この山に登りお祈りをしている。

鉾の先端は3本の両刃の剣になっている。材質は青銅製かと思われ、長い柄が土中に埋まっている。

ビジターセンターから霧島東神社まで車で30分の距離である。

お参りに行く。

駐車場の向こうに赤い鳥居があり、そこから参道が奥にのびている。

( 霧島東神社の一の鳥居 )

 

( 鳥居を潜るとここから参道 )

 

( 参道入口に立つ由緒書き )

由緒書きには(要約)

第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建された。御祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトである。

度重なる霧島山の噴火により復興造営を重ねており、現在の社殿は西暦1722年の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。

社殿奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には西暦1666年薩摩藩島津光久公の寄進した 「 東霧島坐 」の扁額 *1 が治められている。

と書かれている。

( 社務所 )

扁額には霧島大権現東光坊錫杖院門跡と書かれている。もとは霧島山を信仰の対象とする霧島六所権現の一社であり、神仏習合の名残であろう。

 

( 参道 )

深い森の中を進むと、わずかばかりの風と葉擦れの音。抱き包まれるような、穏やかな安らぎを感じる。

 

( 手水社 )

 

途中神門があり、潜ると正面に社殿を拝する。。

 

 

( 石段を登ると社殿 )

 

( 奥の神殿 )

拝殿の前に着いた。柏手の音が森の中に響き渡る。

時折吹き抜ける風にのって、遠くに鶯の谷渡りが聞こえる。まさに神域を実感する空間である。

話は戻るが、先に記した【 高原町郷土誌 】に記載されている逆鉾の図の中、左側に逆鉾の先端部分の図がある。

高原町郷土誌】の説明文には

ある人が高千穂の頂上より折れた矛先を持ち下り、荒武神社の御神体として奉斎した。このことは霧島東神社の別当であった錫杖院の旧記の中に書かれている。そして文化年間(1804~1814年)本阿弥宗円という人が現地へ行った折、それを写し取ったと言われている。(前図の左側)

念のため荒武神社に向かう。

荒武神社は霧島東神社から30分足らずの所、県道31号線,都城市吉ノ元小学校の裏手に鎮座していた。

 

( 荒武神社 )

思っていたより小さな神社である。

祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコト・アマテラスオオミカミ・オシホミミノミコト・ニニギノミコトヒコホホデミノミコトウガヤフキアエズノミコト・神武天皇の8柱。

 

 

鳥居の左、由緒書きには

「 鳥羽天皇天永3年(1112年)2月2日霧島山が大噴火し、頂上の逆鉾(穂先)が西嶽村の山中の不動石に落下し荒武神社に御神体として奉安される。ご神体は終戦直後に紛失するが、2001年地元出身の丸山一英氏によりご神体が寄贈され、同時に神社の社も地元住民の念願がかない新築される。 」

とある。

社は内部が6畳位であろうか、ガラス戸から内部が全て見渡せ、ご神体が納まっている様子はない。

由緒書きには荒武神社奉賛会とあるので訪ねてみようと思ったが、畑ばかりで人の影がない。

なんとなく消化不良のスッキリしない気持ちで、今日の一日が終わりそうだ。

気分直しに道の駅に併設の「神話の里公園」に寄ってみることにした。

山を切り開き、かなりの勾配である。登りはロードトレインで登る。

 

館内には神話に関する資料や、映像がある。

 

南を見れば遠くに桜島がかすんで見える。白く噴煙を上げながら一日の終わりを告げているようだ。

なにはさておき今日も1日無事に終わりそうである。感謝。

次は ( その4 ニニギノミコトを祀る国の重要文化財 )

 

 

 



 

*1:へんがく・建物の高い位置に掲出される額